2019年12月25日水曜日

元三大師 ‪鬼の姿で描かれる大師‬とは!?





大師というと、真言宗の開祖・弘法大師空海さまを連想する方が多いと思う!

天台宗においては宗祖の伝教大師最澄さまも有名だが!人気のあるお大師さまといえば元三大師(がんざんだいし)良源(りょうげん)さまです。

正式な大師号は慈恵大師(じえだいし)といわれます。大師の御命日が一月三日・元旦の三日ということで俗に元三大師と親しまれるようになりました。

良源さまは第十八代天台座主で、天台宗の密教の大成者です。比叡山の経済的基盤の確立や、焼けたお堂を建て直し、学問的な興隆・教団内の規律の維持など、さまざまな功績があり、延暦寺中興の祖といわれております。
もちろん鬼のような人ではなくて、大変美男子で、宮中の女官にモテモテで、あまりに騒がれるので豆のように沢山の小さい身体に化身して宮中の御用を済ませたというお話もあります。

普通のお坊さんのお姿で描かれた像も多くありますが、鬼大師と呼ばれる鬼のお姿で描かれた絵や像も沢山あります。
この鬼のようなお姿に描かれたのは理由があります。

お大師さまが七十三歳になられた貞観二年(九八四)、世間では恐ろしい病が流行っておりした。
ある日の夜、簫々たる風雨で、ただ一人居室に座禅を行じておられました。夜も更けて来た頃、不意に一陣の風が、さっと室に入って来ましたので、禅定を出て御覧になりますと、残燈の影に、怪しい者が居りましたので、
「そこに居るは何者ぞ」
と静かにおたずねになりますと、
「私は疫病を司る厄神であります。いま、疫病が天下に流行しております。あなたもまた、これに罹られなければなりませんので、お身体を侵しに参りました」
お大師さまは、
「疫病の神となぁ。私もまた、逃れられないとのこと、因縁を逃れ得ぬもまた当然、止むを得まい、一寸、これに附いて見よ」
と言って左の小指をお出しになりました。
厄神がそれに触れたかと思うと、お大師さまの全身が忽ち発熱して、堪えがたい苦痛を覚えられましたので、心を寂静にして清め、仏の教えを観じて、弾指(たんじ:指をはじくこと)せられました。厄神は弾き出され、伏しころびながら逃げ失せ、お大師さまの苦痛は、忽ち恢復せられました。お大師さまは、
「わずかに一指を悩めるさえ、このような苦しみを覚えるに、全身を侵され逃れる術を知らぬ人々は、何としても気の毒である。これは、一時も早く救わねばならない」と思召され、夜の明けるのも待ちかねて、弟子たちを呼び集められました。

「鏡を持って来てくれ、そうして、私がその鏡に姿を写すから、心ある者が、それを写し取ってくれよ」
お大師さまは弟子たちが運んで来た全身写しの大きな小判型の鏡の前に座を占められまして、観念の眼を閉じ静かに禅定に入られますと、不思議にも、鏡に映ったお姿が始めお大師さまの姿であったのが、だんだんと変りまして、最後には、骨ばかりの鬼の姿になりました。見ていたお弟子たちは、あまりの恐ろしさに、その場にひれ伏してしまいました。

しかし、明普(みょうふ)阿闍梨だけは、気丈な上に、既に法力で閻魔の庁に行き、獄卒を見ておりますし、絵心第一と普段から自負しておりましたので、恐れることなく鏡を見ては画き、画いては鏡を見まして、残るところなくそれを写し取りました。
禅定からお出ましなされたお大師さまが、これを御覧になりまして、満足に写しとれたという面持ちで、
「これでよい、これでよい、これを直ぐに版木におこし、お札に摺っておくれ」とのお言葉。
お弟子たちが、版木に彫り、お札に摺り上げますと、お大師さま御自身で、開眼(かいげん)の加持(かじ:魂をいれる作法)を施されて、
「一時も早く、これを民家に配布して、戸口に貼りつけるように申しなさい。この影像のあるところ、邪魔は怖れて寄りつかないから、疫病はもとより、一切の厄災を逃れることが出来るのじゃ」
お札を頂いた家は、一人も流行病に罹りませんでしたし、病気に罹っていた人々も、ほどなく全快して、恐ろしい流行病も、たちまちに消え失せ、人々は安堵の思いを致しました。

このことがありましてから以来は、このお札を角大師と称えて、毎年、新らしいものを求めては戸口に貼るようになりました。疫病はもとより、総ての厄災を除き、盗賊その他、邪悪の心を持つ者は、その戸口から出入り出来ないということで、日本全国、何れの宗派に属する寺院も、正月にこの影像を檀信徒に配布して、その年の厄災を防ぐような慣わしになりました。

寶泉寺では元三大師供養を正月三日に行い、元三大師のお札開眼をしてお配りしております。


宝泉寺の元三大師御札