2021年10月11日月曜日

宗教は阿片か?

宗教は阿片と言ったのはマルクスです。


マルクスは、25歳の時の論文「ヘーゲル法哲学批判・序説」のなかで、「宗教は、なやめるもののため息であり、心なき世界の心情であるとともに精神なき状態の精神である。それは民衆のアヘンである」と書いた。

つまり、宗教とは痛み止め、モルヒネ程度のものだ、という意味で書いたんだね。唯物史観からの宗教に対する批判なんだ。


唯物史観、つまりヘーゲルの歴史観は人類は発展して行くというものです。キリスト教の予定説から神を無くした思想です。その思想を踏まえてマルクスは資本主義の先に革命を起こせば絶対平等的世界が実現すると夢想したんだ。それはキリスト教で言うとアルマゲドンの後の千年王国に相当します。ユートピア思想ですね。


マルクスの唱えた「共産主義」は一種の宗教です。神なき宗教、神なきキリスト教と言っていい。人間の理性を神とする宗教だね。新興宗教だ。


新興宗教としては伝統宗教をディスって攻撃しないと信者を獲得できない。そのスローガンが「宗教はアヘン」なんだね。


言っている本人は共産主義というアヘンより猛毒の思想をばら蒔いたんだけどね。マルクスから生じた革命思想により何百万人虐殺されたか考えてみればいい。フランス革命から始まりロシア、中国、北朝鮮、カンボジア、、枚挙に暇がありません。

これは「理想を実現するためには手段を選ばない」という革命思想、テロルの思想が根底にあるからです。

それで活動家の皆様は事実がどうであろうと嘘を並べても平気なんですね。それはテロルの思想です。


今だに日本の学校の教科書ではフランス革命は素晴らしいみたいなこと書いてあるみたいだけど、当のフランスでは恥ずべき黒歴史として考えられているんだよ。自由の真逆、野蛮なテロルによって国がめちゃくちゃになったんだから。罪なき人々を事後法で裁いてギロチンにかけて殺害した。理想のためなら法を曲げても構わない。テロルの思想だね。ナポレオンの強権によってなんとか国を納めたんだ。


信仰が大事なのは、先人たちに敬意を払い昔からの法による秩序を遵守することに価値を置くからです。それはテロルと真逆な思想です。倫理は宗教から生まれます。テロルは倫理を破り破壊します。


あなたもそんなマルクスのスローガンに騙されないで信仰をしっかり持つことです。知らず知らずの間にマルクスの危険思想に染まっていますよ。


2021年10月4日月曜日

止観(坐禅)という方法論

 天台宗では座禅や修行全般を止観と呼びます。

「止観」と一口に言いますが、「止」と「観」はもともと別の瞑想を指します。「止」と「観」をきちんと理解することが大事なのです。

「止」は意識を集中することです。意識を集中することとは、具体的には六根(五感+心)を遮断することです。半眼にして視覚情報を減らし、言語作用から離れ(意識から言葉を消し)、坐して脱力する事で触覚などを遮断して意識レベルを深い状態にもってゆきます。これが「止」です。
禅宗で無の境地と呼ばれるのがこの「止」の深くなっている状態です。
こうすることで雑念の全くない状態に至り、自らの心と対峙する準備が出来るのです。
ですからこれは止観の入り口に過ぎません。 

意識レベルの深い状態を実現したら、次に「観」を行います。
「観」は「気づく」ということです。心の状態に気づいてモニターすることです。
それは自分自身を知ることです。
今、自分は楽しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、怒っているのか、イライラしているのか、自分の感情を気づくことです。
また、自分がどんな性格か、その原因は何か、自分が本当に望んでいることは何か、気づくことです。

気づくことでコントロールが可能になります。気づかなくてはそもそも気づかないのですから自分の感情に流されてしまいます。気づくことで冷静に自分を俯瞰出来るようになり、悲しみ・苦しみを乗り越えることが出来るようになるのです。

様々な座禅法、瞑想法がありますが、十分に「止」を行わないで「観」を行う指導が多いように思います。それでは「観」は習得出来ないのです。
先ずは深く「止」を行い十分に深い瞑想状態に入ってからでないと、いくら「観」の瞑想を行なっても修行は進みません。表層意識での「観」にとどまってしまうのです。

深い「止」の瞑想状態によってのみ心の懊悩に気づき、また忘れていた過去の記憶に気づくことができるのです。
それで止と観は車の両輪と呼ばれるのです。止だけでもダメです。観だけでもダメです。

ところがその入り口である「止」を深く行うのがなかなか難しいのです。
以前のブログで筋弛緩法を応用した方法をご紹介しました。筋弛緩法はなかなか強力な方法ですので是非活用していただきたいと思います。


深く「止」が行えるようになったら、「観」を行います。ひたすら自分の心をモニターしましょう。
自分の心を見ているもう1人の自分に気付きましょう。

できれば五感の記憶を引き出し、過去の記憶、自分の行いに気づき、過去を清算する必要があります。これを懺法と呼びます。過去のトラウマを全て克服することは、気づくことでなされます。

反省する必要はありません。自分を責めてはいけません。ただ、気づけば良いのです。
自分の性格が何故このような性格になったのか、自分とは一体何か、気づくことです。

深いレベルでの気づきが完成すると自分の心全体を把握することができます。そして心の中に全世界が鏡のように存在することがわかり、己心=全世界を知ることが出来るようになります。それを悟りと呼びます。
止によって導かれ、観によって気づき、真実の悟りに至るのです。

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。ご質問にもできるだけお答えします。遠慮なくコメント欄にお願いします(^ ^)   

2021年5月11日火曜日

御詠歌の源流を訪ねて 父母の恩について詠じた最古の仏教の和歌

 「父母へのご恩を讃える」と申しますとよく言われるのが「それは仏教ではない、儒教の教義が混入したものだ」などと言われます。

 確かに儒教では「孝」を大切にしていることは間違いないですが、しかし仏教でも父母に対する恩を説かないわけでは勿論無いわけで、むしろ古くから強調されていることであります。

 「仏足石」というものがあります。これは仏陀の特徴を示す三十二相の内、「足下平満等触相(そくげひょうまんとうそくそう)」を示す石のレリーフで、インドでは仏像が成立する以前からある、非常に古い様式のものです。日本における最古の仏足石は薬師寺にある仏足石と言われています。

 日本の仏教は仏像の移入をもって始まり、仏像信仰が中心であったにもかかわらず、仏像信仰以前の信仰様式である仏足石が今でもここに残っているのです。

 伝説では、唐の貞観(じょうがん)年間に王玄策(おうげんさく)が天竺(インド)に使いして、マガダ国の華氏城(けしじょう:パータリプトラ市)に至り、そこにあった仏足石の図様を写し取って唐に帰国し、長安の普光寺に置いてあったのを、たまたま入唐した我が国の黄書本実(きぶみのほんじつ)がそれを拝して石に刻み、平城京右京四条に安置した。天平勝宝年間になり文室真人智努(ふんやのまひとちぬ)が画師の越田安満(こしだやすまろ)をして、これをまた石に写させたものであると言われています。

 つまり遠くインドに実在した仏足石の写しが日本にまで到達し、その信仰を伝承し現在までその信仰が残っているということなのです。インドにあったであろうオリジナルの仏足石は既に無く、その信仰も途絶しているにもかかわらず、です。

 この薬師寺の仏足石に付随して歌碑があります。高さ六尺ばかりの青黒い粘板岩に、仏跡を讃えた歌十七首と呵責生死の歌四首が万葉仮名で陰刻されています。そのうちの一首


「美阿止都久留(みあとつくる) 伊志乃比鼻伎波(いしのひびきは) 阿米爾伊多利(あめにいたり) 都知佐閉由須礼(つちさへゆすれ) 知知波々加多米爾(ちちははがために) 毛呂比止乃多米爾(もろひとのために)」


 注目すべきは「父母のために、もろひとのために」というくだりです。これが日本特有の表現かといえばそういう訳ではないのです。

 パキスタンで発掘された井戸の碑文にカローシュティー文字で「第一一一年のシラーヴァナ月の第一五日にこの井戸がアーナンダの子であるサンガミトラによって建設された。ーー母と父を供養するために、一切衆生の利益のために。」と刻まれていました。

 薬師寺の仏足石歌碑に刻まれた歌と同じ内容の表現がそれよりも600年ほど前にパキスタンに刻まれていた事になります。

 和歌の歴史は長いですが、仏足石歌碑に刻まれた和歌は仏教の教えを和歌に詠んだ道歌として最も古い部類に入ると思われます。それは万葉集や古事記が編纂された頃と同年代なのです。その歌とパキスタン井戸碑文と共通の信仰様式を持つことに驚嘆せざるを得ません。

 歌という糸でインドと日本は繋がっていたのです。 

 御詠歌の源流は日本で詠まれてきた和歌とインド由来の聲明(śabda-vidyā-)との融合にもあるわけですが、ここに一つの祖系を見ることが出来るのではないでしょうか。