2021年10月4日月曜日

止観(坐禅)という方法論

 天台宗では座禅や修行全般を止観と呼びます。

「止観」と一口に言いますが、「止」と「観」はもともと別の瞑想を指します。「止」と「観」をきちんと理解することが大事なのです。

「止」は意識を集中することです。意識を集中することとは、具体的には六根(五感+心)を遮断することです。半眼にして視覚情報を減らし、言語作用から離れ(意識から言葉を消し)、坐して脱力する事で触覚などを遮断して意識レベルを深い状態にもってゆきます。これが「止」です。
禅宗で無の境地と呼ばれるのがこの「止」の深くなっている状態です。
こうすることで雑念の全くない状態に至り、自らの心と対峙する準備が出来るのです。
ですからこれは止観の入り口に過ぎません。 

意識レベルの深い状態を実現したら、次に「観」を行います。
「観」は「気づく」ということです。心の状態に気づいてモニターすることです。
それは自分自身を知ることです。
今、自分は楽しいのか、悲しいのか、嬉しいのか、怒っているのか、イライラしているのか、自分の感情を気づくことです。
また、自分がどんな性格か、その原因は何か、自分が本当に望んでいることは何か、気づくことです。

気づくことでコントロールが可能になります。気づかなくてはそもそも気づかないのですから自分の感情に流されてしまいます。気づくことで冷静に自分を俯瞰出来るようになり、悲しみ・苦しみを乗り越えることが出来るようになるのです。

様々な座禅法、瞑想法がありますが、十分に「止」を行わないで「観」を行う指導が多いように思います。それでは「観」は習得出来ないのです。
先ずは深く「止」を行い十分に深い瞑想状態に入ってからでないと、いくら「観」の瞑想を行なっても修行は進みません。表層意識での「観」にとどまってしまうのです。

深い「止」の瞑想状態によってのみ心の懊悩に気づき、また忘れていた過去の記憶に気づくことができるのです。
それで止と観は車の両輪と呼ばれるのです。止だけでもダメです。観だけでもダメです。

ところがその入り口である「止」を深く行うのがなかなか難しいのです。
以前のブログで筋弛緩法を応用した方法をご紹介しました。筋弛緩法はなかなか強力な方法ですので是非活用していただきたいと思います。


深く「止」が行えるようになったら、「観」を行います。ひたすら自分の心をモニターしましょう。
自分の心を見ているもう1人の自分に気付きましょう。

できれば五感の記憶を引き出し、過去の記憶、自分の行いに気づき、過去を清算する必要があります。これを懺法と呼びます。過去のトラウマを全て克服することは、気づくことでなされます。

反省する必要はありません。自分を責めてはいけません。ただ、気づけば良いのです。
自分の性格が何故このような性格になったのか、自分とは一体何か、気づくことです。

深いレベルでの気づきが完成すると自分の心全体を把握することができます。そして心の中に全世界が鏡のように存在することがわかり、己心=全世界を知ることが出来るようになります。それを悟りと呼びます。
止によって導かれ、観によって気づき、真実の悟りに至るのです。

ご意見、ご感想をお寄せ下さい。ご質問にもできるだけお答えします。遠慮なくコメント欄にお願いします(^ ^)   

0 件のコメント:

コメントを投稿