2018年12月19日水曜日

般若心経が明かす般若の智慧 観自在への道

般若心経はごく短い文章でありながら仏教の奥義を解き明かしたお経ですね。日本においては大変功徳のあるお経として古くから珍重され、現在でも日本仏教各宗派それぞれ般若心経を重んじております。


般若とは智恵のことです。智恵と言うと私達が連想するのは物事を詳しく知っていること、知識のことを指すと思います。しかしこれは般若の智恵ではありません。分別知と言います。

例えば花を理解するとしましょう。

我々が花を知ろうとすると、どんな種類の花で、どんな形をしていて、花びらと茎と葉と根がある、と考えます。

これでは花という一つの疑問が、花びらと茎と葉と根という4つの疑問になってしまうのです。

分別知は分数と同じですから無限に細分化することができます。

それでは葉とはなんでしょうか、葉脈とか表皮とか、細胞とか分解して、もっと分解していくと原子・分子・素粒子など、最後には人類が未だ解明していない微細な物質にまで分解されます。すると人類が未だ解明していない物質の総体が花であることになります。それで花を理解したことになるのでしょうか?

それではどう考えればいいのでしょうか。

般若の智恵で考えますと、花は植物であると考えるのです。
当たり前のようですが、分別の反対ですから上位概念に移動するのです。
では植物とは何でしょうか?それは生物ですね。
この時点で我々も生物ですから同じカテゴリーに入りまかす。
それでは生き物とは何でしょうか?地球上に存在する生命活動するもの、としましょうか。ここで地球が入りました。
それでは地球は何でしょうか?太陽系の惑星ですね。
それでは太陽系とは何でしょうか?それは宇宙ですね。
宇宙という概念が最上位と思いたくなりますが、その上の一番上位に位置する概念が「空」です。過去・現在・未来すべての宇宙を網羅するのが「空」という概念です。

「空」とは無常という意味です。存在するとも存在しないとも言えない、常ではない・実態がないものという意味です。

例えば自分自身は確実に存在すると我々は思っていますが、さてどうでしょうか?我々の身体は実は2か月前に食べた食料で出来ています。生まれた時の肉体はもうどこにもありません。すべて入れ替わっているのです。
無常の存在なのです。

あなたは誰ですか、といわれるとあなたは何と答えますか?○○という名前で、○○という場所に住んでいて、両親はだれだれで、車は○○です、と答えますが、すべてあなた自身とは別の情報です。あなた自身が存在しないとは言いませんが、立証することも難しいのです。推定されるだけなのです。

このようなお話をしますと現実離れしたように感じられるかもしれません。しかしこれは大変すばらしい教えなのです。

般若心経の冒頭に「度一切苦厄」とあります。般若と言う智恵を得たならば全ての苦しみ・悲しみを乗り越えられますよ、と説かれているのです。

例えば職場で人間関係がこじれて悩むようなことがあったとします。
このような時はとかくトラブルをおこした相手のことを考えてしまいますが、これを般若の智恵で考えるならばまずは「職場」という一つ上の観点でとらえてみます。
職場とは何でしょうか?職場は言うまでもなく仕事をする場所です。仕事を遂行することが一番優先であるとわかります。
すると個人的な感情は一つ小さな問題になります。
これが課長や部長の視点です。もっと上位の立場ですと会社全体を見ています。この立場で考えるといっそうちっぽけな問題だと言うことがわかります。
もっと上の立場では業界全体、日本のマーケット全体、世界経済まで見通す視点です。


もっと卑近な例で言えば、サッカーの選手も同じでしょう。如何にボールを蹴るのが上手い選手でも、蹴るのが上手いだけでは一流の選手とは言えませんね。
後ろに目があるんじゃないかというようなパスができるのが一流の選手です。チーム全員、試合全体を見ているのが名選手でしょう。監督ぐらいになると地域・サポーターを含めたチーム全体、世界各国のサッカーが視野に入っています。


また、現在問題になっているテロということがあります。これは宗教同志で戦っています。しかし般若の智恵で考えると、同じ宗教じゃないか、ということがわかります。宗教とは何かといえば私達が幸せに暮らすためのものであと考えられます。そうであるならば戦争をする必要もないのです。宗教的過激派の人々も同じ般若の智恵を持ってくれれば戦争も無くなるのです。

般若の智恵は応用範囲が広いのです。様々な視点で物事を見れる人を「観自在」と言います。是非とも活用して観自在な人になってください。

2018年12月4日火曜日

誰でも簡単ヒーリング法

もともと仏教には医学の知識があった。

五明の一つだったんだな。

五明とは声明 śabdavidyā-、内明 adhyātmavidyā-、因明 hetuvidyā-、医方明  cikitsāvidyā-、工巧明 śilpakarmasthānavidyā- の五つだ。

明とは学問を意味する。

現在は声明だけが有名になっちまったな。

音韻学が声明だ。

医方明が仏教で伝承された医学だな。

医学といっても自然治癒力を増進して治す技術である。

止観も治療法の1つであるんだが、

これは自分のストレスを減じて治癒力を高めるものだ。

でも、止観をしない人には使えないのだ。

それで簡単に出来て効果がある方法を紹介したい!

打撲や怪我などの疾患にテキメンに効く方法がある!

まずは右手を前回でも行った刀印を結んでほしい。



刀印に限らず、人差し指1本でも良い。

また、パワーが弱い虚弱体質の人は指全部伸ばして五指全て使っても良い。

左手は指を伸ばして中指と薬指の間を開ける。



この、中指と薬指の間が気の通り道になる。

つまりこうだ。

患部に対して裏側に左手を当て、中指と薬指の間に右手指の先がくるようにする。




患部にエネルギーが浸透し、悪い気が左手の方に抜けるとイメージする。

誰にでもできる!

慢性的な疾患には時間がかかるが、外傷、打撲にはその場で効果がある!

コツとしては、こうしたことが出来ると信じること。

患部が必要とするエネルギーを患部に選ばせて送ってあげる、とイメージすることだ。

すぐに治らなくても諦めないこと。

必要な氣(ふぉーす)は自分の顕在意識で考えるのではなく、患部に選んでもらうという視点が大事。

この方法を発見したのは、実はアメリカの医師・ジョン・E・アプレジャー氏だ。

彼自身、左目に木の枝が入り、目に傷を負ってしまった時、この方法で自分の目の治療をした。

最初はひどい痛みで目がズキズキしてとても開けられない状態だったが、

左目に右手の指を当てて指差し、左手は後頭部(目の裏側)に当てて8分間施術した。

すると眼球からポンと言う小さな音がして、目の痛みがなくなったのだ。

彼は医師ですから、鏡で自分の目を観察した。

すると、目の傷が確認できたが、

眼球の内側から傷が盛り上がるようにして治っていたのだ。

膝の痛みや打撲には本当に良く効くのでお試しあれ。

2018年10月10日水曜日

坐禅入門 やさしい坐禅のやり方

今回は簡単な坐禅止観の仕方をご紹介したいと思う。

初めにお断りしておくが、なんでもそうなんだが、文字情報だけでの指導というのは制約が多く、難しい。

 本当は寶泉寺に来てもらうのが一番良いのだが、遠隔にいらっしゃる方はなかなか難しいと思う。

そこでできるだけ簡単に、噛み砕いて説明するので、何かわからないことがあればコメント欄にどんどん質問をブチ込んでください。

まずは 動きやすい服を着ます。ジャージなど。圧迫感がない服装が良い。

また、 できれば一人になれる部屋が必要だ。
鍵付きがいい。
坐禅中に家族が入ってこられると坐禅どころではない。

ご自分のお部屋で坐禅をする場合は、まず部屋を片付けてシンプルな状態にする。

それから座布団を用意しよう。

坐禅用の丸い座布団も市販されているが、とりあえず普通の座布団を半分に折れば安定よく座ることができる。

早速座るわけだが、まずはあぐらをかいてみよう。

座布団の位置を調整してもっとも安定する位置に座ろう。

次に左足を右腿の上に置きます。左足はなるべくお腹に寄せる。

もし足の悪い方、あぐらも辛い方は椅子でも結構だ。正座が得意な方は正座でオッケーだ。

この時一番難しいのが姿勢。

大概は胸を張りすぎる!

また、背中を真っ直ぐにする・気を付けの姿勢と勘違いする御仁も多い。

なるべく背中もお腹も力を抜いて顎を少し引いて後頭部を上にリフトアップする。

全身の力を抜いて頭に風船をつけて上に引っ張っていることをイメージしよう。

イメージするだけで結構! 本当に上にあげると力が入りすぎだ。

あごは引きすぎてもいけないし上がっても行けない。

呼吸が一番楽なポイントを探してゆこう。

次に三軸法で身体の歪みを正す。

三軸法とは、身体を前後・左右・右旋左旋に動かして理想のポジションを探すことだ。

軽く前後に身体を揺らし、最も力が抜けて息が楽な角度を探す。

自分の身体に聞くのだ。

前後の角度が決まったら次に左右の角度を決める。

左右の角度が決まったら右回り、左回りに身体を回して探す。

ロックバランシングといって石を微妙なバランスで立てるアートがあるな。あの要領だ。体をわずかに動かして呼吸が一番楽なポイントを探す。

今一度、身体のどこかに余計な筋緊張がないか探すことを意識しよう。

目の周りの筋肉、耳の周辺、舌の周辺、右足から初めて順に左足、お腹、背中、肩、腕、首、頭の余分な力を抜く。

首と頭は念入りに緩めよう。

頭の骨と骨とがバラバラに離れ、筋肉が弛緩して自由になるイメージを思い描く。

姿勢が決まったら手は定印を結ぶ。

手のひらを上にして右手の上に左手を載せる。

親指同士を接するが、強く合わせるのではなく触れているような感じだ。

目は1メートル先を薄目で見るようにしよう。

大きく深呼吸を数回行う。お腹全体、胸や背中も総動員して大きく鼻から吸い込む。お腹の筋肉をフル活用して口から吐き出す。

一番重要なことは、全身を脱力することだ。

頭のてっぺんから、足の先まで、全ての力を抜いてゆく。

具体的に頭のてっぺんを意識して力を抜く。

息を吐きながら力を抜くと良い。

順番に頭→肩→腕→胸→背中→腹→足と意識を移してゆき力を抜く。


すっかり脱力できたら、次は腹式呼吸に移ろう。

呼吸に意識を集中して鼻から息を吸い、お腹を膨らませる。

息を吐くごとに心の中で「ひとーーーーつ」と数える。

数を数えるのが目的ではないので、十数えたらまた一に戻るようにする。

これを数息観と呼ぶ。

最初ななかなか雑念が湧いて数を数え忘れたり違う考えが浮かんだりだろう。

それで良い! 雑念が出たら呼吸に意識を戻す! この時に脳が鍛えられるのだ!

また、こんなことをやっても意味がないんじゃないかとか、時間を無駄に消費しているんじゃないかとかそういった考えが浮かぶかもしれん。

坐禅の意義は数え切れないほど沢山ある!

坐禅はほんの五分程度でも毎日行えば、血圧を下げ、集中力を活性させ、記憶力が向上し、認知症を予防し、姿勢が矯正され、肺活量を増やし、心が穏やかになり、ストレスに耐える力が増大し、洞察力が冴えてくる。

これらは科学的に実証されているから、安心しろ!

最初は五分ほど数息観をやってみよう。

数息観は観といっても意識を集中する「止」に相当します。「止」を行なったら同じくらい「観」を行なう。

数息観を五分行なったら、今度は観法に入る。

今度は腹式呼吸をやめて自然な呼吸に移る。

息を吐く時にさらに力を抜く!特にお腹は吐く時に力を抜くので腹式呼吸とは反対の動きになるんだ。

これを私は脱力式呼吸と呼ぶ。

脱力式呼吸は腹式呼吸と違い、筋肉を動かすイメージではなく、息を吐くごとにさらに力を抜くイメージをする。

息を吐くと共に全身の力を抜くのだ。

この時、宇宙の星々や地球の広さを感じとるようにすると良い。風の流れや遠くに聞こえる音を感じとります。そして仏教の教えを思い描く。

このとき過去に何らかのトラウマを抱えている人は過去の記憶がフラッシュバックするかもしれん。

もし、フラッシュバックしてきたらそれを心の中のスクリーンに映し出されているイメージにして、右側に回転するツマミのスイッチを想う。回転スイッチを回すとスクリーンがキュっと左スミに小さくなる、とイメージする。

小さくなったらその小さくなった映像を自分の背後に放り投げて捨ててしまおう。

何度か繰り返すと嫌な記憶は忘れ去りフラッシュバックしなくなるぞ!

数息観と同じくらい時間が経過したら、また大きく深呼吸を数回して定から戻る。体を動かし手でマッサージしよう。

「止」のみを行うならば愚(認識作用の低下)になり、「観」のみを行うと狂(人格統合の低下)になる、と言われておる。

止・観は車の両輪であり鳥の両翼で、バランスよく併修すべきもの。同じくらいの時間行うようにするんだ。

足の感覚を戻すのに歩行禅などを行うとよい。歩行禅についてはまた別に解説したいと思う。