2020年10月17日土曜日

百八の煩悩とは何か?

 百八の煩悩とは何か


除夜の鐘が百八の煩悩に由来しているというのは人口に膾炙されているのでみなさんもよく聞かれたことがあると思う。

だが、じゃあその百八の煩悩の一々は何か?というと結構知らないですよね。

ネットで調べてみると内容に異同があってどれがホントなの?と迷ってしまいます。

百八の煩悩と一口で言いますが、これは仏教の哲学で徐々に形成、整理され時代ごとに異なるものが翻訳されて支那・日本に入ってきましたから異同があるのです。

もともとは人間の心身を乱し悩ませ悟りに至る道を妨げる心の働きの総称を「煩悩」と呼びました。他に「漏」、「結」、「縛」、「随眠(ずいめん)」、「随煩悩」、「纏(てん)」とも呼びます。

仏教の基礎学として権威のある文献は、『大智度論』『大毘婆沙論』『倶舎論』が挙げられます。これらの論書によれば、煩悩を断ずる観点から九十八随眠を立てています。これは、貪・瞋・痴・慢・疑・見の六随眠を起点とし、三界の内の欲界に32、色界・無色界にそれぞれ28、計88の見惑(見道所断によって断たれる煩悩)を配置し、更に10の修惑(修道所断によって断たれる煩悩)を加えて、九十八随眠としたものです。

これだと10足りないので、十纏とよばれる10の煩悩を付け加えたものが、俗に108つの煩悩と呼ばれているものです。

以下に列挙しよう。

     名称        意味
 1苦締貪(くたいとん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる貪り
 2苦締瞋(くたいしん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる怒り
 3苦締癡(くたいち)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる無知
 4苦締慢(くたいまん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となるおごり、高ぶり
 5苦締疑(くたいぎ)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる疑い
 6苦締有身見(くたいうけんしん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる身体への執着
 7苦締辺執見(くたいへんじっけん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる極端な思考
 8苦締邪見(くたいじゃけん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる誤った見方
 9苦締見取見(くたいけんしゅけん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 10苦締戒禁取見(くたいかいごんしゅけん)苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる誤った考えを信じ込む
 11集締貪(じったいとん)迷いの集積(集諦)の対象となる貪り
 12集締瞋(じったいしん)迷いの集積(集諦)の対象となる怒り
 13集締癡(じったいち)迷いの集積(集諦)の対象となる無知
 14集締慢(じったいまん迷いの集積(集諦)の対象となるおごり、高ぶり
 15集締疑(じったいぎ)迷いの集積(集諦)の対象となる疑い
 16集締邪見(じったいじゃけん )迷いの集積(集諦)の対象となる誤った見方
 17集締見取見(じったいけんしゅけん)迷いの集積(集諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 18滅締貪(めったいとん)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる貪り
 19滅締瞋(めったいしん)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる怒り
 20滅締癡(めったいち)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる無知
 21滅締慢(めったいまん)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる傲慢
 22滅締疑(めったいぎ)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる疑い
 23滅締邪見(めったいじゃけん)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる誤った見方
 24滅締見取見(めったいけんしゅけん)苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 25道締貪 (どうたいとん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる貪り
 26道締瞋(どうたいしん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる怒り
 27道締癡(どうたいち)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる無知
 28道締慢(どうたいまん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる傲慢
 29道締疑(どうたいぎ )悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる疑い
 30道締邪見(どうたいじゃけん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる対する誤った見方
 31道締見取見(どうたいけんしゅけん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる対する間違いを正しいと思い込む
 32道締戒禁取見(どうたいかいごんしゅけん)悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる誤った考えを信じ込む
 33色界苦締貪(しきかいくたいとん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる貪り
 34色界苦締癡(しきかいつたいち)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる怒り
 35色界苦締慢(しきかいくたいまん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる無知
 36色界苦締疑(しきかいくたいぎ)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となるおごり、高ぶり
 37色界苦締有身見(しきかいくたいうしんけん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる疑い
 38色界苦締辺執見(しきかいくたいへんじっけん) 物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる身体への執着
 39色界苦締邪見(しきかいくたいじゃけん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる極端な思考
 40色界苦締見取見(しきかいくたいけんしゅけん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる誤った見方
 41色界苦締戒禁取見(しきかいくたいかいごんしゅけん)物質的存在(色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 42色界集締貪(しきかいじったいとん)物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる貪り
 43色界集締(しきかいじったいち)物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる怒り
 44色界集締慢(しきかいじったいまん )物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる無知
 45色界集締疑(しきかいじったいぎ物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となるおごり、高ぶり
 46色界集締邪見(しきかいじったいじゃけん)物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる疑い
 47色界集締見取見(しきかいじったいけんしゅけん)物質的存在(色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる誤った見方
 48色界滅締貪(しきかいめったいとん)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる貪り
 49色界滅締(しきかいめったいち)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる怒り
 50色界滅締慢(しきかいめったいまん)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる無知
 51色界滅締疑(しきかいめったいぎ)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる傲慢
 52色界滅締邪見(しきかいめったいじゃけん)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる疑い
 53色界滅締見取見(しきかいめったいけんしゅけん)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる誤った見方
 54色界道締貪(しきかいどうたいとん)物質的存在(色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 55色界道締(しきかいどうたいち)物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる貪り
 56色界道締慢(しきかいどうたいまん)物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる怒り
 57色界道締疑( しきかいどうたいぎ物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる無知
 58色界道締邪見(しきかいどうたいじゃけん)物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる傲慢
 59色界道締見取見(しきかいどうたいけんしゅけん)物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる疑い
 60色界道締戒禁取見(しきかいどうたいかいごんしゅけん)物質的存在(色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる対する誤った見方
 61無色界苦締貪(むしきかいくたいとん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる貪り
 62無色界苦締 (むしきかいくたいち非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる怒り
 63無色界苦締慢 (むしきかいくたいまん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる無知
 64無色界苦締疑(むしきかいくたいぎ非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となるおごり、高ぶり
 65無色界苦締有身見 (むしきかいくたいうしんけん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる疑い
 66無色界苦締 辺執見(むしきかいくたいへんじっけん非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる身体への執着
 67無色界苦締 邪見(むしきかいくたいじゃけん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる極端な思考
 68無色界苦締 見取見(むしきかいくたいけんしゅけん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる誤った見方
 69無色界苦締戒禁取見(むしきかいくたいかいごんしゅけん)非物質的存在(無色界)における苦しみを滅すること(苦諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 70無色界集締貪(むしきかいじったいとん)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる貪り
 71無色界集締 (むしきかいじったいち)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる怒り
 72無色界集締慢 (むしきかいじったいまん)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる無知
 73無色界集締疑(むしきかいじったいぎ)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となるおごり、高ぶり
 74無色界集締邪見(むしきかいじったいじゃけん)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる疑い
 75無色界集締見取見(むしきかいじったいけんしゅけん)非物質的存在(無色界)における迷いの集積(集諦)の対象となる誤った見方
 76無色界滅締貪(むしきかいめったいとん)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる貪り
 77無色界滅締 (むしきかいめったいち)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる怒り
 78無色界滅締慢(むしきかいめったいまん)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる無知
 79無色界滅締疑(むしきかいめったいぎ)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる傲慢
 80無色界滅締邪見(むしきかいめったいじゃけん)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる疑い
 81無色界滅締見取見(むしきかいめったいけんしゅけん)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる誤った見方
 82無色界道締貪(むしきかいどうたいとん)非物質的存在(無色界)における苦しみと迷いを断ずること(滅諦)の対象となる間違いを正しいと思い込む
 83無色界道締(むしきかいどうたいち)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる貪り
 84無色界道締慢(むしきかいどうたいまん)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる怒り
 85無色界道締疑(むしきかいどうたいぎ)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる無知
 86無色界道締邪見(むしきかいどうたいじゃけん)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる傲慢
 87無色界道締戒見取見(むしきかいどうたいけんしゅけん)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる疑い
88 無色界道締戒禁取見 (むしきかいだうたいかいごんしゅけん)非物質的存在(無色界)における悟りの境地に達する修行(道諦)の対象となる対する誤った見方
 89修惑欲界貪(しゅわくよくかいとん)欲望の世界(欲界)の現象的な事物に執われて迷う貪り
 90修惑欲界瞋 (しゅわくよくかいしん)欲望の世界(欲界)の現象的な事物に執われて迷う怒り
 91修惑欲界 (しゅわくよくかいち欲望の世界(欲界)の現象的な事物に執われて迷う無知
 92修惑欲界慢(しゅわくよくかいまん)欲望の世界(欲界)の現象的な事物に執われて迷う慢心
 93修惑色界貪(しゅわくしきかいとん)物質的なものに執われる世界(色界)の現象的な事物に執われて迷う貪り
 94修惑色界 (しゅわくしきかいち)物質的なものに執われる世界(色界)の現象的な事物に執われて迷う無知
 95修惑色界慢 (しゅわくしきかいまん)物質的なものに執われる世界(色界)の現象的な事物に執われて迷う慢心
 96修惑無色界貪(しゅわくむしきかいとん)非物質的な世界(無色界)の現象的な事物に執われて迷う貪り
 97修惑無色界 (しゅわくむしきかいち)非物質的な世界(無色界)の現象的な事物に執われて迷う無知
 98修惑無色界慢 (しゅわくむしきかいまん)非物質的な世界(無色界)の現象的な事物に執われて迷う慢心
 99十纏無慚(じってんむざん)心理作用を伴って表面に現れた恥じる心が無い心
 100十纏無愧(じってんむき)心理作用を伴って表面に現れた他者に恥じ入る事が無い心
 101十纏嫉(じってんしつ)心理作用を伴って表面に現れたねたみ・嫉妬心
 102十纏慳 (じってんけん)心理作用を伴って表面に現れた物惜しみ
 103十纏悔 (じってんけ)心理作用を伴って表面に現れた後悔
 104十纏眠 (じってんめん)心理作用を伴って表面に現れた睡眠欲
 105十纏掉挙 (じってんじょうこ)心理作用を伴って表面に現れた騒がしく、静まらない心
 106十纏惘沈(じってんこんじん)心理作用を伴って表面に現れた滅入ってふさぎ込む心
 107十纏忿(じってんふん)心理作用を伴って表面に現れた憤怒心
 108十纏覆 (じってんふく) 心理作用を伴って表面に現れた罪を隠す心


これは98までは修行の段階を表しているのです。修行が進むにつれて心の深奥にある微妙な煩悩を消し去るように段階的に配置されているのです。

99から108の十纏は、心理作用を伴って具体的に表面に現れた煩悩であり、どう考えても付け足したような感じです。これは数を合わせるために付加されたもののように思います。108という数字は一種の数のシンボリズム です。数えきれないくらい多いものを指すときに数字の8を使って表すことがあります。八百万や嘘八百などがそうです。108に合わせて煩悩を分類した、というのが正解だと思います。


他にも煩悩が108個あると言われる由来には諸説あります。

はじめにご紹介する説は、六根(6)×好・悪・平(3)×浄・染(2)×過去・現在・未来(3)をすべて掛け合わせると108になるという説です。

六根とは人に感覚を生じさせ、迷いを与えるもののことで、眼、耳、鼻、舌、身、意の6つを指します。好・悪・平は人間の感情のあり方を表しています。好=快感、悪=不快、平=どちらでもないというあり方です。浄・染は浄=きれい、染=きたないという意味です。そして三世は、過去・現在・未来や前世・今世・来世を表します。

これらすべての組み合わせが、六根(6)×好・悪・平(3)×浄・染(2)×過去・現在・未来(3)=108となり、よって煩悩は108個あるとされています。

他にも四苦八苦という言葉に由来しているという考え方もあります。

四苦(4×9)と八苦(8×9)を足した数が108になることから、煩悩は108個あるとされている説です。

また、気候や季節の変わり目を表す暦に由来しているという説もあります。月の数(12)+二十四節気(24)+七十二侯(72)を足すと108になります。月の数は1月〜12月までのことです。

二十四節気とは春夏秋冬をそれぞれ6つずつに分けたものです。立春や秋分、夏至も二十四節気の一つです。七十二侯とは、二十四節気をさらに細かく分けた暦です。中国の古い暦が日本に伝来して、日本式になったものと言われています。

これらを足し合わせると12+24+72=108となります。

これらの説は108という数を弾き出すために無理やり算出されたように思います。最初にご紹介した論書の説が一番根拠にかなったものであり、心の修行に資するものと私は考えます。