日本においては古くから喉を鍛錬することは必要と思われていたことは確かだ。
昔は拡声器が無い。だから肉声で歌うしかない。どんな商売でも大きな声で歌うように口上を述べないと誰も買ってくれない。飴でもクスリでも魚も納豆も買ってくれないんだ。死活問題なんだ。
こんなエピソードがある。
昔、京都の人に薗久兵衛という代々散楽(さるがく)の謡(うたい)を生業とする者があった。
その子源助は技量極めて拙く、遂に父久兵衛は怒って勘当して追い出してしまった。
そこに居合わせた弟子の備前(岡山県辺りか)の人が源助を哀れに思い故郷に連れ帰り養うことした。
源助は失望のあまり、毎日近所の寺院を周り巡っていたが、あるお寺の境内に大きな滝があり、水の勢い急で、水音もたいそう激しく溪に響いている場所に出会った。
源助はこれを見て深く思うところがあって、それから毎日この瀑布(ばくふ)の下に座して謡うことにした。
しかし、ただ瀑布の響きだけが、やかましく聞こえるのみである。源助はそれにもめげず、毎日毎日瀑布の下に座して声を出し続けた。
数日を経ても歌声は幽かに、瀑音はいよいよ高く聞こえるばかり。
月を重ねると、声やや開けて歌はよく我が耳に聞こえるようになってきた。
源助はさらに努力し三年を経るに及ぶと、少しの発声の労なくして歌曲自ずから妙なるものとなった。
源助は主人に乞うて京に戻り、父の家を訪ねることにした。
久兵衛は門前で案内を請う我が子の声を聞き、走り迎え、直ちに一曲の謡を命じた。
源助は命に従い謡うと、その音声は清亮にして曲調は律に適い、聴く者は皆、感涙が頬を濡らした。
久兵衛は手を打って喜び「汝の謡は儂(わし)に勝っている。汝は必ずや大いに我が家名を上げるであろう。いまよりこの家を譲るから家業を継いでくれ」と命じた。
源助は驚き辞したが父は聴かず、遂に家督を譲り、これより源助はその名を慕って従う者多く、果たして大いに家名を上げたと云う。
このエピソードでもわかる通り喉のトレーニングをそれぞれみな頑張ったんだな。