日本のお盆行事は仏教では説明しきれない面があります。何故七月なのか、何故霊魂が帰るのか、経典には書いてないのです。また、お施餓鬼は仏教の行事として不動の位置を占めていますが、果たしてそうなのでしょうか。
実は道教でもお盆と同じような信仰があります。
道教では「鬼」は霊魂の総称です。神の位を持っていない霊はすべて「鬼」です。先祖の霊も鬼です。
台湾の道教では中元にあたる旧暦の七月は「開鬼門」と言って地獄(冥府)の門が開き、鬼門から霊魂が我々の世界に供養を受けにやってくるといいます。そこで丁度ハロウィンのようなパレードをしたり、「拝好兄弟」という儀礼をします。
道教の思想である「鬼」の概念で「餓鬼」を捉えると合点がいきます。もともと「餓鬼」はインドの信仰に根ざす祖霊崇拝に由来すると言われ、アビダルマでは一つの生存形態として規定されました。その餓鬼という概念と支那の鬼の概念と習合し、子孫のいない・供養を受けられない孤独な魂と捉えられるに至ったのだと思います。
またお盆が七月というのも、冥界と繋がる期間が中元でありお盆だと考えると中元説で説明できます。
お盆は「盂蘭盆」の略ですが、「盂蘭盆」に相当するサンスクリットも諸説あり確定していません。もしかしたらお盆行事の起源は道教なのかも知れません。
また、道教にはお施餓鬼と同じような儀礼もあります。先述した「拝好兄弟」という儀礼です。
中元に行う「拝好兄弟」は大々的に行いますが、通常は太陰暦二日と十六日に台湾の会社や飲食店などで行います。いわゆる無縁霊に施しをする儀礼です。
台湾に行きますと店の店先の歩道のところに、何か円筒形の焼却炉のようなものが出してあります。これで紙銭や紙に描いた服や携帯電話、麻雀牌などを焼きます。お金持ちは先祖の為に紙製の立体的な家や車なども焼きます。さらにまたそれに加えて台のようなものの上に果物や菓子それに饅頭、蒸した鶏(まるごと)、豚肉、酒、飲料、米飯等々いろいろなお供え物を置きます。米は中央に置きます。更にそれらの供物にはそれぞれ線香を挿します。これが 「拝好兄弟」です。
「拝」は文字通り拝むということで、「好兄弟」というのはいい友達というぐらいの意味で、「無縁霊」の隠語です。「無縁霊」と呼ぶと霊魂の機嫌を損なうと考えられていますので、「好兄弟」と呼ぶのです。特に七月(鬼月)では「無縁霊」と口にすることは憚るそうです。
ここでいう「無縁霊」とは、街のいたる所をうろついている不成仏霊や人格を有する霊的存在のことで、肉や魚、果物や菓子、線香などで無縁の霊をもてなし、更に冥界で使うお金(紙銭)を燃やして饗応し、その見返りとしてお客さんをたくさんつれて来てもらい、商売繁盛を祈るのです。 実際にこの方法は商売繁昌に大変効果があるとされます。これは商売繁昌祈願のお施餓鬼と言ってもいいですね。
面白いことに、道教でも神仏を拝する時は合掌をしますが、これは己と神仏の気脈を合わせるという意味があります。ところがこの「拝好兄弟」では合掌してはいけないとされます。無縁霊と気脈が通じてしまうからだとされます。