2019年8月28日水曜日

苦しみの原因 無明とは何か

 無明とは、誤解を恐れず言えば、キリスト教で言う「原罪」と同じです。

 我々は脳と心を分けて考えますが、脳と心とは一体であり分けることは本来できません。
  また脳は神経によって全身とつながっており脳だけで存在しているわけではありません。また、体も地球という環境とつながっており、空気や重力がなければ存在しえず、地球は宇宙がなければ存在しえません。あたかも自分が自然と切り離されて個別に生きているように感じていますが、その感覚が罪であり、自然・宇宙と一体という感覚が罪でない状態なのです。ですから人に悪いことをしたから反省するというものではなく、もっとスケールの大きいことなのです。

 聖書の創世記ではアダムとイブが知恵の木の実を食すことによって楽園を追われた、という記述があります。自然と自己とが一体であって分別のない状態が楽園であって、悟りの世界にいるのです。ところが知恵の木の実を食べて人間に知恵=分別智がついてしまい、自然と自我が切り離されてしまったのです。これが原罪といわれます。

 つまり、サルであった祖先は自然と一体であり、将来の不安も食料の不安も感じないで生きてきた楽園の状態であったのです。脳が進化して自我が生まれると、将来の不安や食料の不安が生まれます。もはや森の木の上で生活できなくなるのです。自ら食料を生み出さないといけなくなります。これが楽園を追われたということであり、労働が生まれるのです。ですから分別智があらゆる苦しみ・労働・差別・支配などを始めた根本なのです。
 
  あらゆる罪は原罪、つまり無明より起こります。
 悪業は、単に倫理的な側面の罪悪だけを説いているのではなく、分別智によって作り出された様々な先入観によって引き起こされた事象全体を言っているのです。それは無自覚でありますし、いつ始まったとも言えない意識の誕生する瞬間より生まれるものです。

 貪瞋痴は煩悩の代表です。煩悩は、智慧を妨げる心の働き(汚れ)を言います。欲望とも訳されますが、貪は貪りのことで必要以上に物事を欲しがること、瞋は怒ること、痴は無知であることで、これらが様々に混じり合って百八種の煩悩になると考えられています。これらは分別智によって引き起こされるものです。分別智によって比べることをしなければ貪りはありません。必要・不必要という分別も、長いも短いも、多い少ないもなければ貪りようもないのです。怒りや妬むこともありません。比べることができないからです。無知であることもなくなります。

 無知の問題は少し話がややこしくなりますが、ご説明しましょう。

 分別するとは抽象度を下げることです。百合の花を理解しようとすると、あなたはどう考えるでしょうか?花の花弁があって、おしべ・めしべがあって、茎があって葉があって球根がある、これが百合だと思うでしょう。それでは花弁とは何でしょうか?葉となんでしょうか?百合の花という一つの疑問が、花弁とおしべとめしべと茎と葉と球根という六つの疑問に分かれてしまいました。分別は分数と一緒ですので、いくらでも繰り返せます。葉とは何、というと葉脈があって細胞壁があって………と果てしがありません。疑問が疑問を呼びついには素粒子とかクオークとか人類が未だに解明していないような細かい物質まで分割されてしまいます。人類の解明していない物質の総体が百合の花ということになり、それでは百合の花のことを理解していないことになります。これが無知・「痴」ということです。
 このような分別智で引き起こされる貪瞋痴によって心は分断され汚れるので、それが罪という意識となって心を暗く閉ざしてしまう根本原因であるのです。この分別智の一番根本にある原初の心理を「無明」と言います。根本的な無知のことです。

2019年8月22日木曜日

共感力を磨け!

共感力を磨きましょう。

ここで言う共感力とは、人の気持ちがわかる、配慮ができる能力を共感力と呼ぶことにします。
サイコパスの対義語としてのエンパス(共感)のことではありません。
普通に人の気持ちを理解しようとする心構え、それを共感力と呼ぶことにします。

それではなぜ共感力が必要なんでしょうか。

人間の知性は共感力から生まれたと言われています。
例えば、 2人の人間が花を見た時、花が綺麗だね、そうだねとの会話があったとします。目の前に見えている花を、相手が同じ目の花を見ているということを理解してるわけです。つまり相手の心の中を読んでいるわけです。
なんだそんなことかと思うかもしれませんが、数学的に考えると非常に複雑なことをしているわけです。

自分が見ている花=相手が見ている花 =綺麗である=相手も綺麗だと思っている

このような複雑な思考は、他の動物に見られません。

ですから、共感力を磨くのは人間としての能力を高めていくということに他なりません。母親は赤ちゃんの心に共感することで子育てを実現できます。
夫婦はお互いの心に共感することで愛情を深めます。
多くの職業ではお客様の気持ちを察して共感することでそのニーズを見出し、応えることで業績を上げることができます。
およそ人間関係が発生する場所では欠くことができない能力でしょう。

それでは具体的に、共感力を磨く訓練法をご紹介しましょう。

⑴ セリフ連想法
日常的に人と接することがありましたら、相手の心の中のセリフを想い浮かべます。
心の中のセリフとは、よく漫画にある、心の中を書いてある吹き出をイメージします。吹き出しがちょっと丸くなってるアレです。これを想像するのです。
この人は、本音ではこう思ってるんじゃないかとか、
実はこういう風なことを考えているんじゃないか、とセリフを想像するのです。
実際にやってみると最初はそんなに当たらないでしょう。
当たらなくてもいいのです。
だんだん当たるようになってきます。
この訓練をしていると、だんだんと相手の立場で物事が考えられるようになり、共感力が磨かれてきます。

⑵ 讃歎法
次に、実際に会話しなくてもできる訓練法です。
電車でも何でも結構ですから、目の前にいる人を褒めていきましょう。もちろん実際に声に出さなくて結構です。心の中の声で褒めてゆきます。
服装や持ち物や髪型などその人のこだわりを察知して具体的に褒めていきます。
服装や、持ち物でその人の性格や、仕事ぶり、信念など想像を膨らましていきます。
例えば、見るからに喋るのが上手い人だなと思ったら、この人は喋る職業、営業をしている人かなと想像して、会話力が凄いですね、と考えるのです。
電車で疲れて朝から寝ている人がいたら、念願のマイホームを会社から遠い場所に建てて始発の電車を狙って通勤してるんだな、家族思いで凄いですね、とか想像します。これも自分の勝手な思い込みのようですが、それでも良いのです。
これを続けると、自然に人を褒めることができるようになります。

褒めると言う事は共感力と関係ないんじゃないかと思うかもしれません。でもそれはそうではなくて、私たちが共感すべき内容と言うのは、その人の良いところ、こだわるところ、大事にしてること、そのことに共感すべきだからこの方法が有効なのです。

ですから私のようなお坊さんやカウンセラー、そういった方はむしろその人の悲しみや苦しみに共感したほうがよろしいですから、褒めるのではなくこの人の悩みはなんだろう、この人の苦しみはなんだろう、そういうふうにテーマを変えて想像すると良いでしょう。

是非とも実践して下さい。

2019年8月18日日曜日

理想の自分をインストールせよ!実践!普賢行願瞑想

おはこんばんちわ。

今日は皆様に大変重要な修行方法を伝授したい。

自分の人生の目標を立てたのはいいが、それがなかなか実現できない、

そしてふがいない自分を脱却できない、そんな相談をされます。

そこで普賢菩薩つまり理想的な修行者をインストールする密教の瞑想法があります。
ただこれをそのまま実践すると言うのはなかなか難しいことであるし、密教の作法であるので簡単に教えるわけにはいきません。

そこでその瞑想法を一般向けに簡単にアレンジした瞑想法をご紹介します。
簡単にした、といってもシンプルでありながらその効果は本式と殆ど変わりません。ですから安心して実践してみてください。

まず、私の以前のブログを読んでいただき誓願を立てます。
もちろん自分の誓願です。
自分の人生の目標、それを明確にイメージしてみましょう。
リラックスして坐ります。
般若心経をあげるのも良いですね。
呼吸に意識を集中して軽く瞑想をします。

目標が高ければ高いほど、そして時間的に遠ければ遠いほど、それは臨場感の薄いものになります。臨場感が薄いとこれから行う瞑想の効果が低くなります。
ですからここでは自分の遠大な目標をイメージできたら、10年後から5年後ぐらいの自分を思い描きます。
その目標を達成した時の自分から逆算してまだその中間点にいる自分を具体的に想い描きましょう。
どんな服装をしているのか、何を食べているのか、どんな部屋にいるのか、どんな仲間がいるのか、どんな表情しているのか、なるべく具体的に想い描きます。
そしてその近未来の理想の自分を、本当に目の前にいるようにイメージします。

理想の自分を思い描けたら、目と目を合わせてみましょう。
なんとなくつながったイメージが湧いてくるでしょう。

次に、その理想の自分理想の自分を思い描けたら、目と目を合わせてみましょう。
なんとなくつながったイメージが湧いてくるでしょう。

次に、その理想の自分が自分の体の中に入ってくるイメージをしてみましょう。
自分と理想の自分とは重なるイメージです。

その理想の自分がどう感じているのか、そういったことを感じ取ります。理想の自分を先取りして味わうのです。

これをワンセットとして毎日行いましょう。
理想の自分の状態を先取りしてそれを当たり前にしてしまうのです。
そうすると、理想の自分だったらこんなこと朝飯前だよなとか、自分がとても無理だと思っていたことが何でもできる気がしてきます。そうやって自分を勘違いさせるわけです。勘違いしてできるようになれば、それは勘違いではなくて本当に変わっていくのです。

2019年8月6日火曜日

実践!慈悲の瞑想

慈悲の瞑想のやりかた

 毎朝仏壇に向かって次の無量心文を唱えます。座禅や読経の前・または後に読み上げると良いでしょう。声は出しても出さなくても結構です。

私が幸せでありますように
私の苦しみ、悲しみが無くなりますように
私の望み、想いが叶いますように 
私に悟りの光が訪れますように

私の大切な人が幸せでありますように
私の大切な人の苦しみ、悲しみが無くなりますように
私の大切な人の望み、想いが叶いますように  
私の大切な人に悟りの光が訪れますように

私の周りの人が幸せでありますように
私の周りの人の苦しみ、悲しみが無くなりますように
私の周りの人の望み、想いが叶いますように  
私の周りの人に悟りの光が訪れますように

私の嫌いな人が幸せでありますように
私の嫌いな人の苦しみ、悲しみが無くなりますように
私の嫌いな人の望み、想いが叶いますように  
私の嫌いな人に悟りの光が訪れますように

すべての生きとし生けるものが幸せでありますように
すべての生きとし生けるものの苦しみ、悲しみ が無くなりますように
すべての生きとし生けるものの望み、想いが叶いますように  
すべての生きとし生けるものに悟りの光が訪れますように


最初にご自分の幸せを祈ります。
自分が幸せでなかったら他人を幸せにできません。
幸せは内からこんこんと湧き出るものです。外の環境によって左右されません。小さなことでも幸せを感じることができます。
息を吸えるだけでも、息ができない状況を考えると幸せなのです。日常が普通に過ごせることは贅沢な幸せなのです。

 次に祈りは大切な人、他人と広げてゆきます。なるべくリアルに、実際に人々を思い出しながらあの人も、この人も幸せになってもらいたいと思いましょう。

 この無量心文では自分が嫌いな人の幸せを願っています。ここがポイントなのです。自分が嫌いな人、苦手な人、軽蔑する人を具体的に思い浮かべて、あの人も幸せになるように、と唱えてください。最初は難しいと思います。でも無理にでも、口先だけでいいから唱えてみるのです。毎日行っているとだんだんそれが本当になってきます。

 嫌いな人、苦手な人、軽蔑する人は実は自分の心の鏡です。その気持ちが大きければ大きいほど自分の心の嫌いな部分、許せない部分たその人に投影して見ているのです。世の中の全ての存在は自分の心の鏡に映った情報にすぎません。その嫌いな人、苦手な人、軽蔑する人を許すことは、自分自身を許すことになります。それによって得られる心の平安は、宇宙が無限に広がるように心が豊かに無限に広がるのです。

2019年7月19日金曜日

こころの底から願うこと 私たちも誓願を持ちましょう

今回は自分の誓願を持つことを考えてみましょう。 

誓願とは人生の目的のことです。 目的のない人生はありえません。 
心理学では目的(ゴール)を失った人の平均寿命は一年半だと言われています。仕事に情熱を燃やしたサラリーマンが定年退職をして、何の趣味も持たず ゆっくりと過ごそうと考えていると余命一年半になってしまうという恐ろしい話です。それでも何の目的もない人生ということはないと思います。その動機が強ければ余命一年半ということはないでしょう。 毎日生きがいを感じて生活をするには目的が必要なのです。 

まずは自分の本当にやりたいこと、大事にしたいこと、目的を思い描きましょう。 
最低五つの目的を設定してみます。 

1仕事、2家庭生活、3趣味、4健康、5社会的貢献 

これを目安にご自分で考えてみてください。 なるべく具体的な方がいいでしょう。 

1仕事は、文字どおりご自分のお仕事です。 

2家庭生活は、家族に関する目的です。相手がいますが自分を主体として考えてみます。例えば、結婚をするとか、子供の将来のために〇〇をするとか。 

3趣味は、自分の趣味のことです。趣味なんて、と思う人も多いと思いますが趣味は大事です。人生を豊かにします。友人関係も広がりますし、生きがいとなります。趣味に没頭する時、深い瞑想の境地にいるのと同じ脳波をしています。ストレス解消になって健康にも寄与するでしょう。 

4健康は、やはり大事です。何をするにも身体が資本です。大事にしたいものです。 

5社会的貢献は、町内会の行事に参加するでもいいですし、親戚とお付き合いするのも入ります。またボランティア活動でもいいでしょう。社会との接点が強化され生きがいを作り出します。 

だいたい決まってきたら、つぎにその5つの五年後を考えてみます。五年後、具体的に自分がどうなっているか。そしてももう五年後、つまり十年後の自分も考えてみます。 
例えば、油絵を描くのが趣味だという人であれば、五年後は個展を開く、十年後は何々のコンクールで一等をとる、とか具体的な目標を、あたかも今実現したような実感を持ってリアルに想像してみます。すると不思議といろいろな縁が重なって実現に近づいてゆくでしょう。 

これは不思議でも何でもなくて、脳は目的・目標を持つことで今まで見過ごしてきた様々な情報を理解するようになるのです。 

我々は多くの情報の海に漂っています。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、本など。ところが興味のないことには反応しないでいます。ひとたび興味があれば重要と思う情報が目に飛び込んでくるのです。それが脳の働きなのです。 

目標を設定する時、これは無理なんじゃないかとか、どうやったらいいかわからないから諦めるとかはしなように。無理なことなど世の中にはありません。どんな形であれ実現できます。例えば空を飛びたい、と思ったら、確かにこの身このままでピーターパンよろしく空を飛ぶことはできませんが、グライダーで飛ぶことはできるでしょう。今からプロ野球選手になることは無理かもしれませんが、シニアの選手にはなれるでしょう。無理・不可能と考える前にやってみることです。 

また、どうしたら実現できるかわからないということもあるでしょう。わからなくてもいいのです。脳はなるべく不必要な情報は処理しないようにできています。つまり必要と思う情報のみを処理しようとします。ですから「こうしたい」という目的・誓願を持つことで必要とされる情報が目に飛び込んでくるようになるのです。最近はこのような現象を「引き寄せ」などと呼んで神秘的に扱いますが、これは神秘でも不思議でもなく脳の普通の処理です。自分を信じてあげましょう。 

 仏教では四求誓願という四つの抽象的な請願を重んじます。これについてはまた詳しく記述しようと思っておりますが、これは高尚な誓願です。我々が日常生活で請願を生かすとするならば世俗的なこの五つの請願をまずは考えてみましょう。趣味の多彩な方は趣味の分野をもっと増やしてもいいです。最低5つということで考えてください。 

皆様方の素敵な請願が考えついたら、私にも教えてくださいね。 
ご意見、ご感想をお寄せ下さい。ご質問にもできるだけお答えします。遠慮なくコメント欄にお願いします(^ ^) 

2018年12月19日水曜日

般若心経が明かす般若の智慧 観自在への道

般若心経はごく短い文章でありながら仏教の奥義を解き明かしたお経ですね。日本においては大変功徳のあるお経として古くから珍重され、現在でも日本仏教各宗派それぞれ般若心経を重んじております。


般若とは智恵のことです。智恵と言うと私達が連想するのは物事を詳しく知っていること、知識のことを指すと思います。しかしこれは般若の智恵ではありません。分別知と言います。

例えば花を理解するとしましょう。

我々が花を知ろうとすると、どんな種類の花で、どんな形をしていて、花びらと茎と葉と根がある、と考えます。

これでは花という一つの疑問が、花びらと茎と葉と根という4つの疑問になってしまうのです。

分別知は分数と同じですから無限に細分化することができます。

それでは葉とはなんでしょうか、葉脈とか表皮とか、細胞とか分解して、もっと分解していくと原子・分子・素粒子など、最後には人類が未だ解明していない微細な物質にまで分解されます。すると人類が未だ解明していない物質の総体が花であることになります。それで花を理解したことになるのでしょうか?

それではどう考えればいいのでしょうか。

般若の智恵で考えますと、花は植物であると考えるのです。
当たり前のようですが、分別の反対ですから上位概念に移動するのです。
では植物とは何でしょうか?それは生物ですね。
この時点で我々も生物ですから同じカテゴリーに入りまかす。
それでは生き物とは何でしょうか?地球上に存在する生命活動するもの、としましょうか。ここで地球が入りました。
それでは地球は何でしょうか?太陽系の惑星ですね。
それでは太陽系とは何でしょうか?それは宇宙ですね。
宇宙という概念が最上位と思いたくなりますが、その上の一番上位に位置する概念が「空」です。過去・現在・未来すべての宇宙を網羅するのが「空」という概念です。

「空」とは無常という意味です。存在するとも存在しないとも言えない、常ではない・実態がないものという意味です。

例えば自分自身は確実に存在すると我々は思っていますが、さてどうでしょうか?我々の身体は実は2か月前に食べた食料で出来ています。生まれた時の肉体はもうどこにもありません。すべて入れ替わっているのです。
無常の存在なのです。

あなたは誰ですか、といわれるとあなたは何と答えますか?○○という名前で、○○という場所に住んでいて、両親はだれだれで、車は○○です、と答えますが、すべてあなた自身とは別の情報です。あなた自身が存在しないとは言いませんが、立証することも難しいのです。推定されるだけなのです。

このようなお話をしますと現実離れしたように感じられるかもしれません。しかしこれは大変すばらしい教えなのです。

般若心経の冒頭に「度一切苦厄」とあります。般若と言う智恵を得たならば全ての苦しみ・悲しみを乗り越えられますよ、と説かれているのです。

例えば職場で人間関係がこじれて悩むようなことがあったとします。
このような時はとかくトラブルをおこした相手のことを考えてしまいますが、これを般若の智恵で考えるならばまずは「職場」という一つ上の観点でとらえてみます。
職場とは何でしょうか?職場は言うまでもなく仕事をする場所です。仕事を遂行することが一番優先であるとわかります。
すると個人的な感情は一つ小さな問題になります。
これが課長や部長の視点です。もっと上位の立場ですと会社全体を見ています。この立場で考えるといっそうちっぽけな問題だと言うことがわかります。
もっと上の立場では業界全体、日本のマーケット全体、世界経済まで見通す視点です。


もっと卑近な例で言えば、サッカーの選手も同じでしょう。如何にボールを蹴るのが上手い選手でも、蹴るのが上手いだけでは一流の選手とは言えませんね。
後ろに目があるんじゃないかというようなパスができるのが一流の選手です。チーム全員、試合全体を見ているのが名選手でしょう。監督ぐらいになると地域・サポーターを含めたチーム全体、世界各国のサッカーが視野に入っています。


また、現在問題になっているテロということがあります。これは宗教同志で戦っています。しかし般若の智恵で考えると、同じ宗教じゃないか、ということがわかります。宗教とは何かといえば私達が幸せに暮らすためのものであと考えられます。そうであるならば戦争をする必要もないのです。宗教的過激派の人々も同じ般若の智恵を持ってくれれば戦争も無くなるのです。

般若の智恵は応用範囲が広いのです。様々な視点で物事を見れる人を「観自在」と言います。是非とも活用して観自在な人になってください。

2018年12月4日火曜日

誰でも簡単ヒーリング法

もともと仏教には医学の知識があった。

五明の一つだったんだな。

五明とは声明 śabdavidyā-、内明 adhyātmavidyā-、因明 hetuvidyā-、医方明  cikitsāvidyā-、工巧明 śilpakarmasthānavidyā- の五つだ。

明とは学問を意味する。

現在は声明だけが有名になっちまったな。

音韻学が声明だ。

医方明が仏教で伝承された医学だな。

医学といっても自然治癒力を増進して治す技術である。

止観も治療法の1つであるんだが、

これは自分のストレスを減じて治癒力を高めるものだ。

でも、止観をしない人には使えないのだ。

それで簡単に出来て効果がある方法を紹介したい!

打撲や怪我などの疾患にテキメンに効く方法がある!

まずは右手を前回でも行った刀印を結んでほしい。



刀印に限らず、人差し指1本でも良い。

また、パワーが弱い虚弱体質の人は指全部伸ばして五指全て使っても良い。

左手は指を伸ばして中指と薬指の間を開ける。



この、中指と薬指の間が気の通り道になる。

つまりこうだ。

患部に対して裏側に左手を当て、中指と薬指の間に右手指の先がくるようにする。




患部にエネルギーが浸透し、悪い気が左手の方に抜けるとイメージする。

誰にでもできる!

慢性的な疾患には時間がかかるが、外傷、打撲にはその場で効果がある!

コツとしては、こうしたことが出来ると信じること。

患部が必要とするエネルギーを患部に選ばせて送ってあげる、とイメージすることだ。

すぐに治らなくても諦めないこと。

必要な氣(ふぉーす)は自分の顕在意識で考えるのではなく、患部に選んでもらうという視点が大事。

この方法を発見したのは、実はアメリカの医師・ジョン・E・アプレジャー氏だ。

彼自身、左目に木の枝が入り、目に傷を負ってしまった時、この方法で自分の目の治療をした。

最初はひどい痛みで目がズキズキしてとても開けられない状態だったが、

左目に右手の指を当てて指差し、左手は後頭部(目の裏側)に当てて8分間施術した。

すると眼球からポンと言う小さな音がして、目の痛みがなくなったのだ。

彼は医師ですから、鏡で自分の目を観察した。

すると、目の傷が確認できたが、

眼球の内側から傷が盛り上がるようにして治っていたのだ。

膝の痛みや打撲には本当に良く効くのでお試しあれ。